A-7D's Page
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かつてアメリカ空軍の戦術攻撃機の主役であったA-7Dは、F-4ファントム同様 海軍の開発した軍用機であった。プライドの高い空軍もA-7コルセアの卓越した兵器積載量と精密に攻撃できる性能に着目し、海軍が開発途中からその性能を調査して、海軍がE型を採用するタイミングで、戦術攻撃機の主力として大量に購入することを決めた。テキサス州ダラスのLTV社で次々に生産されたA-7D型は、まずはTAC(戦術戦闘航空団)から配備されたが、このページではイラストによって 各戦術戦闘航空団に所属したA-7Dのマーキング(迷彩パターンから部隊徽章など)の一部を御紹介していく。A-7Dの配備が始まった頃 TACでは、A-7Dを主に3個航空団に順次配備し その他ベトナム戦への投入、訓練飛行隊。実験飛行隊などがA-7Dを使った。最初に実戦配備を受けたのは、サウスカロライナ州のマートルビーチ空軍基地の第354戦術戦闘機航空団(354th TFW)である。この航空団は、ベトナム戦時 タイのコンラートにも派遣されている。その後 現地の388TFWにも一部機体を移管いるが、タイにおけるA-7Dは、”JH"のテールレターを付けていたので 他の航空団も含め 2ページ以降に順次ご紹介しよう。
サウス・カロライナ州のマートル・ビーチ空軍基地 第354戦術戦闘機航空団(354th TFW)がF-100の部隊を運用していた中 1968年から新鋭の攻撃機A-7Dも配備を受けて最初のA-7D航空団となった。354th TFWの編制が終了したのは、1971年5月15日である。この航空団は、団(Wing)単位でA-7Dを使って唯一長期のベトナム戦を経験している。(飛行隊単位で派遣された部隊はほかにある)354th TFWは、1976年末からA-10Aに転換を始め、2番目のA-10A実戦航空団となった事でも有名である。

マートルビーチ空軍基地は、市営空港として造られた飛行場で、第二次大戦の影響で陸軍の訓練基地になり、その後も長きにわたり航空団など大規模組織を受け入れてきた。一時はこの基地内にドイツ人の捕虜収容施設もあったそうである。A-10Aの3個飛行隊が存在したのを最後に1993年他の多くの基地と共に整理閉鎖を受けている。現在は、マートルビーチ国際空港として2800m級滑走路は引き続き使われているそうだ。354th TFWの方はご存知の通り、2023年時点でアラスカのイールソン空軍基地で新鋭のF-35A 2個飛行隊(355/356th FS)を擁する航空団として活躍中。



第511 戦術戦闘機中隊 (1970-1971)
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第353 戦術戦闘機中隊 (1971-1978)
第355 戦術戦闘機中隊 (1970-1977)
第356 戦術戦闘機中隊 (1971-1977)
↑ 1974年9月にマートルビーチ空軍基地で撮影されたA-7D/69-6235。尾翼の黄色い帯は、航空団傘下の3個飛行隊のカラーにはなく、機体の移管の際、その移動交換を担当する4454th TFRS(Replace Squadron)のカラーと言う説もある。
354th TFW
↑ 1977年7月に撮影された第354戦術戦闘航空団の司令官指定機。背景から恐らく航空団の本拠地であったサウスカロライナ州マートルビーチ空軍基地であろうが、3個飛行隊約50機がエプロン所狭しと並んでいたはずである。因みにマートルビ-チはアメリカ有数の観光地で、大西洋に面した96キロメートルに及ぶ海岸線に幾つもの州立公園を擁している。A-7D/71-0354
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マートルビーチの354th TFWが、A7D/3個飛行隊で創られた当初この”禿鷹飛行隊”は、その一員として加わったが、1年を経て 第353戦術戦闘機中隊と交代して解散している。この第511戦術戦闘機中隊は、後の1980年にイギリスで復活し、A-10Aの部隊としてRAFベントウォターズに配属されている。

一つ上の図の第511戦術戦闘機中隊に変わり 354th TFWの一員となった第353戦術戦闘機中隊のA-7D。1978年にA-10Aに転換されるまで マートルビチのA-7D御三家として活躍した。イラストの空対空ミサイルは、1970年代アメリカ空軍の主力AIM-9J 
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